青空だけは十代のまま

コロナ渦を経て4年ぶりの仙台帰省。

私にとって帰省とはまだまだ「おばあちゃん家に行くこと」だ。一人暮らししている時も、実家は隣の県だったし、多い時は月一とかで帰ることもあったし、帰省と呼ぶのはなんだか似合わない気がして呼んだことがなかった。

 

三連休が帰省で終わってしまい日曜の夜に帰って翌朝から仕事となると気持ち的にも体力的にもキツイな〜とか、仕事関係でやることあるしな〜とか、親戚のことは好きだけど悪意のない言葉で少しだけ傷ついたり気まずくなるのも避けたいな〜とか、色々考えた結果、帰省には参加せず、擬似一人暮らし生活を楽しむことにした。

 

けれど、その計画は3連休の2日目に崩れた。

幼い頃から夏に仙台のおばあちゃん家に集まることが1番のビッグイベントだった。帰りたくなくて泣いたり、いとこは仮病を使って帰りを数日遅らせたりしていた。みんなでキャンプに行ったり海に行ったり花火をしたりカラオケに行ったり。そんな思い出はずっと心に残っている。

 

グループLINEに送られてくる写真の数々を見ていたら、大好きないとこやその子どもに会いたくなった。いとこは何人かいるけど特に仲の良いいとこは一個下で、身内が言うのもなんだけど、とても素敵な子だ。いとこは昔と変わらず皆に会えたことを喜び、あと何回会えるか分からない祖母との時間を慈しんでいるように感じた。もちろん、人それぞれ事情があるし、みんながそうするべきだとも思わない。けどまっすぐにそれができるいとこが今の自分には眩しく感じた。

妹に「楽しそう!行けば良かった〜」とLINEをして、「今から来たら?って◯◯(いとこ)が言ってる」「みんな会いたがってるよ」という返信がなければ行ってなかったと思う。

行きたいと思い始めてからも、けど夕飯の材料買っちゃったしな〜とか、今から行っても夜に着いて明日午後には帰るしな〜とか、滞在時間短いのにお金結構かかるのやだな〜とか、そもそも本当に会いたいと思ってくれてるのかな〜とか考えた。

考えたけど、行くことにした。

 

超久々に新幹線に乗ってワクワクして、久々に旅館に泊まって旅館の匂いや一階の売店に一人感動して、宿の部屋で少し話してすぐ夕飯で、ビールなんか飲んじゃって、温泉入って、部屋で遅くまで飲んで、7時に起きて朝食バイキング食べて、昨日みんな行ったこけし屋さんが近いからってもう一度寄ってくれて可愛いこけし買って、仙台戻ってお墓参りして、毎年恒例のサイゼでお昼食べて、仙台駅でお土産買って、遠くで一人暮らししてる弟といとこたちとハイタッチしてバイバイした。

 

祖母は認知症はあるが90過ぎにしては元気だと思う。何に笑ってるか分からない唐突な笑い声に皆で笑った。私は弟が2人いて、長男は髭を剃っていて、次男が髭を生やしているのだけど、「そっちが弟なのに髭生えてんの」ってめちゃ笑ってて、それだけは笑う理由がちゃんとあった。あとはよく分からなかった。

 

部屋で飲んだ時には、いとこと自分が異常に涙脆いという話で共感し合っていたら、おばがそれは祖父の遺伝だよと教えてくれた。生まれる前に亡くなってるから知らなかった。

 

滞在時間は丸一日にも満たないのに、もっと長くいた気がする。行けて良かったな。

 

やらなきゃいけないことが多い時は特に、土日両方予定入れるのは不安だし、なるべくなら土曜に遊んで日曜は余韻に浸ったりのんびりしたい。楽しい時に翌日のことを考えてしまうのが嫌だ。けどそんなことばかりを気にして楽しいことに消極的な自分はもっと嫌だと思っていた。

だからこそ今回、たまには良いじゃん!と思い切って心躍る方を選べたことが嬉しかった。

一つ心残りなのは、「素晴らしい行動力!」と褒めてくれたいとこに、「あなたが来なよって言ってくれたおかげ!」と言えなかったこと。

 

新幹線も全然乗ってなかったから分からなくて、旅行とか遠征とか腰が重かったんだけど、切符の買い方を思い出したから(調べればすぐ分かることだけど、そういう一個一個がやたら面倒に感じてしまうここ最近…)旅行とかフェスとかに行くハードルが下がった気がするぞ〜

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