君と話が出来たら それだけで嬉しくなるんだ

桜が満開なのになんだか肌寒い日が続いている。
引っ越しまであと何日か、本当は大好きな自分の部屋もしくは桜並木の下でずっとのんびりしていたいけど、引っ越しの準備もそろそろ始めないとだ。

一人暮らしを始めてから通算しておよそ4年半。始める前はなかなか気が重かったのを覚えている。
家族のいるぬくぬくとした賑やかな場所から、一人で生活するなんて絶対に無理だと思ってた。
けど違った。元々、一人暮らしをしたらこんな部屋にしたいとか妄想するのは好きで、それが思い通りに叶えられ、理想の空間で過ごせるのは想像してたよりも幸せだった。目に入る空間が理想的なだけでこんなにも幸せを感じるのかと思った。
それが少なくともしばらくの間はなくなってしまうのが怖い。これからしばらく自分だけの空間はなくなってしまう。贅沢な感情なのは重々承知だけど正直な気持ちだ。
けど、今はそれよりも優先すべきものがある。

私は3月末で退職した。職場にいたのは丸3年。社会人になって2つ目の職場だ。1回目の転職は、突然かつ予想外過ぎる不可抗力で、今の職種を続けるには場所を変えざるを得ない状況だった。癖の強い人も多かったけどそんな人達もどこかしら尊敬でき、「ここでずっと働いても良いな」と思えていた中での突然のことだったので、お先真っ暗な気持ちで転職活動したのを覚えている。

そして今の職場。入社初日に部署のトップに「ここは大変だよ。去年沢山いた新人がみんな辞めたし、その前の年の子も1人しか残ってない。だから今人が足りなくて他の部署から一気に新しい人が来て、てんやわんやしてる時期。」的なことを面談室で言われ、絶望しながら帰り、家で泣きながら親に電話した。(今思うとめちゃくちゃ心配かけたんだろうなと思うけど、ちゃんと人を頼れて偉かったねという気持ち)
それを考えればよく3年も続けたなと我ながら思う。

そんな風にスタートしたけど、別にずっとしんどいわけではなかった。ていうか、ずっとしんどいなら絶対もっと前に辞めてた。
忙しくて責任も重くて嫌になることも多かったけど、とある業務の担当日以外は比較的心に余裕を持って働くことができたし、割と大所帯な組織なので、数名いる苦手な人とも週一回関わるかどうかというレベルで、基本的には良い人が多いのが救いだった。そして、ほぼほぼ定時で帰れるのも良かった。

それでも辞めようと思った。
こればかりは憶測でしかないし、気休めかもしれないけれど、色々と話を聞いていても良いタイミングだった気がする。

得られたものは沢山ある。
特に、入って2年目で取り組んだ研究は、大変だったけど、仕事だけでなく自分の人生にも影響を与えるようなもので、沢山考えたあの時間にも意味があったのかなと思う。
それ以外にも日々、いろんな人の人生の大切な節目に触れることで、そこでしか知れないことを沢山知り、学ぶことができた。
表向きには輝かしく見えていても、人間はみんな弱くて、色んな感情と戦いながら色んな選択を繰り返していることを知れた。
本当は、そういう人間の弱い瞬間にもっと寄り添いたかった。もう少し自分に余裕があれば、と思う瞬間が何度もあった。逆に、感謝の言葉を貰えたりした時はとても嬉しかった。

この気持ちはこれからも大切にしたいと思う。そういうちょっとした気持ちが原動力になってくれると信じたい。
「そこに必ず意味があるから」と信じたい。
ゆっくり、のんびり。

今日の私の家に降る雨

この1ヶ月半くらい、とにかく時間があった。側から見たらいくらでもやることはあるんだろうけど、「知らない〜休むぞ〜」という気満々でスタートした期間だった。 
3年前までなら、海外旅行だって行けていたんだろうけど、このご時世。悔しさが全くないかと言われたら嘘になるけど仕方ない。
幸いなことに、たまに散歩に行ければ家に篭ることはそこまで苦ではないので、ここぞとばかりにエンタメを摂取する期間にしよう、そうするしかない、と思った。それと、引っ越すまでの残りわずかな期間、大好きな自分の部屋でいられる時間が長いことはとても嬉しかった。

読書や映画、ドラマ、YouTube、ラジオ、バラエティ…今の時代、いくらでも時間を使うことができるなと思う。
見ては感想を書いてを繰り返した。
いや、こう書くとすごくせかせかと繰り返しているように見えるけど、とてもマイペースだし、もちろん見たもの聞いたもの読んだもの全ての感想を書いているわけではない。なんなら、映画・本以外はツイートしないことの方が多いんだけど、映画や本は見た/読んだ達成感があるのか、ついツイートをする。
けど、なんとも言い難い虚無感というか、何してるんだろう、と感じてしまう瞬間が結構あった。

好きなことをしてるはずなのに、ずっとなんかモヤモヤしていた原因がようやく分かった。
仲良くしてくれているフォロワーさんがブログで、「感想をすべてツイッターやブログに書くことが腑に落ちなくて…」と書いていて、「これだ」と思った。
最近見た作品は、他では得られない感情になれたり、知らない世界を知れたり、素敵な物がたくさんあった。けど、自分の拙い語彙量・文章力で無理矢理言葉にしてしまうことで、その作品の魅力を伝えられてない気がしたし、自分だけのものにしておきたい感情まで何かの衝動に駆られて伝えようとしていたこと。多分それがモヤモヤの原因なんだと思う。

全く気づいてなかったわけではない。
けど、多分自分は何かに焦っていて、「この期間でやったこと、見たもの、そして、得た感情を残しておきたい」と思っていたんだと思う。そして、自分のメモ帳や記録用のアプリではなくツイッターにそれを書くということは、あわよくば誰かから賛同してほしいと思っていたんだろう。

あと、全てのタイミングでモヤモヤするわけではなかった。
最近で言うと、『30までにとうるさくて』の5話を見た時は、自然と感想が溢れて、見終わった直後にブログ書く宣言をしていたし、読んでほしい人たちに読んでもらえたら良いなと思った。

他の人からしたら当たり前のことかもしれないし、別にわざわざ宣言することでもないんだけど、これからはそういう、自然と感想を書きたくなったり、読んでほしいと思ったり、おすすめしたいと思った時にツイッターに書けば良いや、と思った。
好きなものに関してなら考えることは好きだし、考えることも時には大切なことかもしれないけど、上手く言葉にならないものを無理矢理言葉にしようとしなくて良いかなという気持ちになれた。

と言っても、もうすぐこの期間も終わる。
そろそろいい加減、夜更かしをやめないといけないな。


私は私 貴方は貴方と

Abemaで放送中の『30までにとうるさくて』というドラマの第5話を見た。

設定やストーリーを書くのは面倒なので、このドラマを見ている前提で書きます。長めのツイートだと思ってもらえれば、、、

まず、詩とお母さんのシーンはボロ泣きしてしまった。娘を理解しようと本を読んで勉強する母、とても素敵だと思う。
みんなこうであってほしい。何事に関しても。(別に何冊も本読んで勉強するとかじゃなく、気持ちの面で)

恭子と詩でやってる仕事に関しての詩の提案、恭子はきっと他人事ではなく、自分のことも投影したんだろうな、投影して良いんだよ、という気持ちになった。
法律的に好きな人と結婚できない人も幸せに…ということと同じように、好んで結婚を選ばない人も肩身の狭い思いをせず幸せになれる世界であってほしい。
今回の企画はウェディングウェアのショーだったので、敢えて恭子のような人が共感するパートはなかったけど、勝手に妄想してそんなことを思った。

そして、また今回も最後の最後に色んなことが起きていた。
遥に関しては、正直、バレて安心した。
しっかり嘘を付ける人なら墓場まで持っていけば良いかもしれないけど、今の時点で罪悪感で結婚を躊躇している遥は、きっとこのまま結婚してもどこかのタイミングで自分から言うか、どっかからバレて同じことになる気がする。
この後彼が許してくれて、遥も反省して覚悟を決められたら良いのだけど。

花音ちゃんは、やっぱりそうだよね、となった。
そんな予感はしていた。きっと視聴者みんな一回はチラついてたはず。次回予告の感じだと、奥さんは亡くなってるのか、いないっぽかったけど。

そして、恭子。
フォロワーの方のツイートから、この件と類似した実際のニュースも読んだけど、本当に色々な問題が詰まっていると思う。
けど一つ言いたいのは、医療関係の仕事してても急にバイト生活になる可能性も全然ありますよ、ってことです。
これは別に、男性が嘘をついてないということではなく(ドラマなので、きっと嘘はついてるのでしょう。それは本当に良くない)、相手の職業という枠組みだけでどこまでの指標になるのよ、と思ってしまった。(しかも医療関係って外科医も医療事務も医療関係だし…)
これはニュース記事を見た感想だけど、「相手が偽ってたという問題」と、「制度の問題」、「倫理的な問題」が絡まってて、本当に目を瞑りたくなるけど、自分にも目を瞑れない日がくるかもしれない問題だよな、と。


こういうドラマを見ると、自分のこともそうだけど、結局は少子高齢化とか、虐待とか、そういうところに行き着くのでとめどなくて疲れる。そしてモヤモヤして終わる。(これは多分環境のせいで、まずは自分のこと考えなよと思う)
けど、大きな問題に直結した話を、自分達に近いところ、意識・共感しやすいところを題材にして描いているドラマだと思う。

あと、絶対絶対父に勧めたいドラマなのになんか勇気が出ない。
前に、『正欲』も読んで欲しくて、帰省した時持って行くねと言ってたんだけど、いざ帰る時怯んで「忘れた」って嘘ついたままだ。
『恋せぬふたり』はすぐ勧められたんだけどな。LINEで面白いとは言ってたけど、どう感じたんだろう。久々にもっと深いことまで話したい気分になった。喧嘩にならない程度に。



最近、引っ越すまでに近くの行きたいお店に行っておこうキャンペーンを実施している。
アールグレイ尽くし。
そうそう、あと最近またクッキーにハマっている。(前回いつなのよ)食べ過ぎ注意だけど、サクッサクホロッホロなクッキー、止まらないね〜

誰にもないものを持っていたいのになぁ

今日はニューヨークについて。
というのも、先週のニューラジオ、トーキンアバウト、早見さんとの対談、この3本がファンへのご褒美みたいな、なかなか胸が熱くなるものだったので。

2人がそれぞれの場で、違う人と話しているのにその言葉の端々から2人の根っこの感覚が似てるのをあらためて感じた。
先週のニューラジオは屋敷さん不在で、助っ人にきたゆにばーすの川瀬名人に、「嶋佐さんはこれから楽しいだけですよ。屋敷さんはネタをやりたがるイメージがあるから苦しむだろうけど。」と言われた。それに対して「あいつも意外とそうよ」と言う嶋佐さん。これは、「あいつもテレビ楽しんでるよ。ネタにそこまで固執はしてないよ。」というような意味だと解釈した。
屋敷さんのネタへの想いの強さは一旦置いておいて、テレビを楽しんでいるのはファンから見てもそうだと思うし、2人のなんでも楽しめるところがとても好きなので、それを本人達も認識してるのが単純に嬉しい。

あと、屋敷さんは早見さんとの対談で、嶋佐さんはトーキンアバウトでそれぞれ話していたのが、賞レースへの熱意だったり負けた時の悔しさを2人とも内に秘めていたい(表にはあまり出したくない)タイプだということ。
これは前から度々言っていたし、実際の2人を見ていても分かる。ニューヨークの代あたりまではそれが多数派で、下の代あたりからそういうのを表に出す芸人が増えたらしく、2人もそういう芸人が悪いわけではないと言っていて、自分もそういう芸人も好きだ。
けど、嶋佐さんの言う"感動される物として消費されるのが嫌な感覚"は分かるし、ニューヨークにはこれが合ってるようにも思える。(賞レース自体がそういう作りになっているし、なんとも難しい部分ですが)

そして、共通している部分もあれば、違う部分もある。早見さんとの対談で屋敷さんが、ADを辞めて芸人になろうと決めた時のことについて話していたのがとても印象的だった。
「りゃんめんですよね。自分のことをクソ偽物だと知り、どうにでもなれ精神で芸人になったけど、その反面、誰よりも自分に期待してる自分もいる」と。早見さんと共感し合っていたこの言葉に少し羨ましいなと思いながら、屋敷さんの去年のKOC決勝後のニューラジオでの沈み具合や、M-1決勝進出者発表時の目を赤くしたシーンを思い出した。
M-1を見て芸人をかっこいいと感じてこの世界に足を踏み入れたという屋敷さんにとって、どれだけ売れたとしてもやっぱり賞レース優勝への想いはきっとあるのだろう。だから、去年あたりから賞レース出場に関してはきっと迷いが大きかったんだろうと思う。

それとは対照的なシーンがトーキンアバウトだった。この回は屋敷さん不在でデニスが助っ人だった。
嶋佐さんが、ゲストのMOROHAの人に、「M-1の敗者復活戦で負けた時に悔しそうじゃなかった」と指摘されて、はじめは「悔しさを表に出したくなかった」と言っていた。
その後、いつの間にかMOROHAのギターに乗せて内にある気持ちをラップにするみたいな流れになって、「賞レースが全てではない」という気持ちを吐露していく。これも以前からニューラジオなどでちょこちょこ言っていたので、突然のラップで言うことに困って適当に見繕った言葉ではないとわかった。
嶋佐さんは屋敷さん以上に「(特に決勝まで行けば)賞レースは運だ」ということを何度も言っていたし、今回のラップでも、隣にいるデニスを例にあげ「賞レース決勝行ってないけどこんなに面白い」と、「俺たちはまず芸人なんだ。面白ければ良いんだ。賞レースで踊らされるマリオネットじゃない。」と熱く言葉を紡いでいた。「もちろん賞レースのおかげで今の状態があるから感謝している」とも話していた。
そう思う人がいて当然だと思うし、きっとそう思いつつも賞レースで決勝にいかないと売れない現実と闘っている芸人が沢山いるんだと思う。売れた今、嶋佐さんはこれを発信できるようになった。けど、優勝への想いは嶋佐さんもゼロではないはず。これもまたきっとりゃんめんなのだろう。

ニューラジオを聞いた感じでは、単独は毎年やり続けてくれそうなので、今年ニューヨークが賞レースに出場してもしなくても、2人が決めたことならどちらでも、という感じではある。
けどやっぱり出るとなったら、負けた時の、特に屋敷さんの表情は見てられないので、優勝を願うしかない。そうなるとKOCは良いんだけど、M-1が自分の中でまた複雑になってしまうな、と。
まあ、テレビやYouTubeで2人の楽しそうな姿が見られればファンは幸せです。



卑怯者でも遊んでね

まずはじめに、今日焼いた冷凍餃子の羽根が割れずに皿に移せたので見てください。



ありがとうございました。

最近はブログに書きたいなと思うことが色々とあったのだけど、それらを差し置いて取り急ぎ書かないといけないことが突如現れた。

「佐久間宣行のオールナイトニッポン0のインパルス板倉ゲスト回」。
この文字列だけで十分に聞きたいと思えるのだけれど、噂によると板倉さんが私の大好きなロバート秋山竜次について語っていると。
これは絶対に聞かなくてはと思いつつ、なんやかんやで先延ばしにしていたらradikoタイムフリーの期限が切れていた。まあ1ヶ月近く経つからそりゃそうだよな、と仕方なく無断転載されているものを聞いた。


先に自分のお笑いファン遍歴に触れておきたい。
(先に言っておきますが、とても長くなりました。)

今思い返すと、私は割と昔からお笑いが好きだったんだなと思う。
とは言っても、小学生のお笑い好きなんてかわいいもので、『エンタの神様』やゴールデン枠になってからの『はねるのトびら』なんかを見ていた、といった感じ。
中学、高校時代までは部活に没頭していたこともあり、変わらずバラエティー番組を好んで見ている程度だった。
そもそも、高校生まではガラケーで、ネットもなるべく使わないようにしていて記憶があり、今みたいに自由にYouTubeなんかを見られない環境にいた。
そんな中でも、テレビで見るはねトびのロバートや、エンタのラバーガールが好きだったことは覚えている。(今でもこの2組は好きなので好みは変わってないんだなと少し嬉しくなる)

大学生になって時間に余裕ができ、スマホを持ち始め、ネットを好きに使えるようになったので、好きな芸人を少し深く追うようになった。
とは言っても、中学時代から好きだった嵐や、大学2年からはエビ中にどっぷりだったので、お笑いの劇場に行ったのは記憶の限り大宮ラクーンに一度だけ。(残念ながら誰が出演してたか確かでないけど、しずる、フルポン、犬の心はいた気がする)
なので、大学時代のお笑いオタ活のメインは、ロバートの唯一の冠番組メ〜テレでやっていた『ザキロバ』をGYAOで見たり(こんなに面白いのになんでこれしか番組ないんだよとずっと思っていた)、YouTubeに無断転載されてるロバートやラバガのコントなどをひたすら見ていた。

そして、大学時代の後半あたりからだったか、千鳥にハマった。
地元が埼玉なのでテレ玉でやっている『いろはに千鳥』が好きで、千鳥のロケの面白さや語り表せない"良さ"に惚れ込んでいたし、『相席食堂』は初回から見ていて、いつの間にか番組が人気になった時は「みんな気づくの遅いな〜」と思っていたし、『チャンスの時間』の圧倒的なアホらしさと刺激でよりお笑いが好きになった気がする。

社会人2年目、2018年のM-1で、霜降り明星というそれまで『すべらない話』で一度せいやを見たことがあるくらいだったほぼ同年代のコンビが優勝するのを見て、その漫才の面白さと2人の勢い、少年漫画の主人公感に感動して、その瞬間からファンになった。
大阪のラジオ『霜降り明星のだましうち』やYouTubeでやっていた『パパユパユパユ』を見てたら2019年4月に上京、オールナイトニッポン0やレギュラー番組も次々に決まり、ほぼ全ての出演を追っていた。(今では好きな芸人が増え、マストで追うのはANNと霜バラくらいになってしまった)

そして、2019年のM-1で、(この時は)漫才ではなく平場でニューヨークに興味を持ち、YouTubeの面白さ、そしてネタの面白さでみるみるうちに虜になった。

ほぼ同時にオズワルドも好きになった。
M-1のネタも好きではあったのだけど、しっかりとハマったのは『アメトーク』の鳥貴族大好き芸人で、伊藤さんのワードセンスと初出演とは思えない果敢さに驚いたのがきっかけだった。
そこから、ニューヨークがやってるYouTube生配信『ニューラジオ』をオズワルドも始めるようになり嬉しかったし、「無限大っていう同じ劇場に所属してるんだ〜」とか、コロナ禍での合同zoom配信で伊藤さんがニューヨーク2人にいじられまくってるのが本当に最高で、2組の関係性を知り、どちらもより好きになった。

前半↓
後半↓

この2組(特にニューヨーク)のYouTubeを見るようになってから、無限大メンバーを中心にこれまで以上に色んな芸人の面白さを自然と知るようになった。
あとは、これまでリア垢(死語)でお笑いのことをツイートして誰にも相手してもらえなかったのが、エビ中のことしかツイートしてなかったアカウントでお笑いのことも呟くようになって、より情報が得やすくなったのと、自らも色んなものを見るようになったし、M-1だって3回戦から見るようになった。
なので、ここ数年で昔から好きだったお笑いがより好きになったのは確実だし、以前ツイートもしたように私は辛い時いつもお笑いに救われてきたので、これからも一生好き、というか必要不可欠なんだろうなと思う。

都内に住んでるのに、劇場に行くようになったのがここ最近なのはなんでだろうと思ったけど、都内でのライブが多いニューヨークやオズワルドにハマってすぐにコロナ禍になったしまった、という単純な理由だった。
これからはたまに通えたら良いな。最近何度か生で見て思うけど、やっぱり熱気とかで全然違うなと感じるので。




はい、本題です。

こんなお笑いファン遍歴を持つ自分にとって、今日聞いた佐久間宣行ANN0がとんでもなく良かったのだ。

板倉さんが元々、秋山・馬場と3人でロバートを組んでいたことも、今でも板倉さんと秋山さんが仲良しなのも知っていた。
けど、秋山竜次の圧倒的な天才さを、ずっと近くにいた元相方であり、はたまた親友であり、はたまた人気番組で長年共にやってきた同士?ライバル?は、あの時どう感じて、現在どう感じているのかを、こんなにも余すことなく話してくれるの?!?!と思った。
自分にとってとても贅沢だった。
痒いところにやっと手が届いたような感覚だった。

秋山竜次の天才だけどこんなにも愛され続けている理由をあらためて感じたし、2人の関係性がとてつもなく素敵なんだけどやっぱり少しだけ苦しくて、気づいたら何度も一人唸っていた。

あと、板倉さんってこんなに人の良いところを見つけるのが上手くて、それを素直に言葉にできる人なんだ、という発見もあって、より好きになった。
素直であるが故に"絶望"を感じやすくて、絶望ワクチンなんて打つ側になってしまうんだろうな、とも思ったけど。まあそれも良さではあるので難しい。

佐久間さんも言ってたけど、2人の映画、ぜひ見たい。誰か撮ってくれないかな。又吉?けど佐久間さん経由なら劇団ひとりの方が有力かな。

あと、恥ずかしいことに深夜時代のはねトびのコントを多分見たことがないので、近々TSUTAYAでレンタルして見たいと思った。ANN0を聞いたら、これは見なくては、となった。


前置きが本題の何倍も長いし、本題はANN0を聞いてないとよく分からないだろうし、めちゃくちゃ独りよがりなブログになってしまったけど、まあ良いでしょう。

明かりをつけたまま横になる

M-1グランプリ2021が終わってしまった。
本当に楽しい約2ヶ月間だった。
いや、1年間だった。

私が好きな漫才師オズワルドは、昨年優勝を逃した翌日、早々に今年のM-1に向けたネタ作りを始めていた。本当に変態だとつくづく思う。

昨年の決勝で、審査員が米中に見えちゃうくらい正反対に感じた審査コメント。
オズワルドはこの一年で、米中ではなくトムジェリだったと気づいた。
実はそこまで正反対な意見でもなく、紙一重なことを言っているのだと。
(具体的に今年どのような意識でネタを作ってきたのかは芸人雑誌vol.5や過去のニューラジオを参照してください)

そこに気づいた2人は、4月に行われた単独ライブの時点で完成度の高い漫才を6本作っていた。
その時点で、どのネタもおもしろくて、あーやっぱりオズワルドの漫才が好きだな、と思ったのを覚えている。

そこから、3回戦の動画を見るまでの間、生で見られたのは「オズワルドno収録」の1回のみだったけれど、たまに見る配信ライブやABCお笑いグランプリなどで、何度か今年の漫才を見ることができた。
決勝でやった「友達」も「割り込み」も、6月に生で見た時には単独の時とかなり違うものになっていた。そしてABCで見た時はまたさらに仕上がっていた。
テレビやラジオの仕事が増えていく中でも、まさに東京吉本の稼ぎ頭という勢いで劇場に立ち、ネタと向き合い続けてきたのが伝わる。

3回戦辺りからだったか、優勝候補と囁かれるようになり、「プレッシャー与えないで!」的なファンのツイートをよく目にしたけど、実は一番"優勝候補"を現実として感じていたのは確実にファンだった。
ずっと見てたら、そう思わざるを得ない。
だって凄かったもの。
この一年、実際の漫才も、纏う空気も。
(けどあまり知らない人にそれを言われるのはまた違うと思ってしまうのもきっとファンなら一致)

しかし、今年の結果は2位で終わった。

悔しかった。
優勝者が発表された時、しばらく真顔のまま、少ししてからツーっと涙が伝う悔し泣きをした。
切り離して考えれば、錦鯉の優勝はもちろん喜ばしい。
けど。全然、全然悔しい。


大会時のツイッターや自分の家族の反応を見ていて思ったことがある。

これはどのコンビにも言えることかもしれないけど、オズワルドの漫才は、彼らのラジオやニューラジオなどを毎週追っており2人の生態・人間性をよく知ってる人と、そうでない人では感じ方に差があるだろうなと。

もちろん、それなりに2人のキャラを知っていれば十分楽しめるのだけど、2人のことを知っていれば知っているほど、今年のオズワルドの漫才はリアルで違和感のないものとしてすんなりと受け入れられるような気がする。

というのも、普段2人がラジオでしている会話を少し凝縮して形を整えたら、それはもうオズワルドの漫才なのだ。
それもそのはず、オズワルドの漫才は、畠中さんがテーマをあげ、ボケを考え、それをおもしろいと感じれば伊藤さんがツッコミを考える、という作られ方をしている。
畠中さんが日頃感じたちょっとした疑問だったり妄想だったりを伊藤さんに投げかけ、それに対して伊藤さんがツッコむという形。

つい最近はラジオで、畠中さんが住んでみたい漢字について話していた。あとは数字ってそれぞれ自分の中で決まった色があるよねって話もしていた。
こんな話ばかりしてくれるラジオ、好きに決まってるんだけど、さらにそれに対する伊藤さんの反応もまた良いのだ。
どんな反応かというと、はじめは「またなんか言ってるよこいつ」みたいな反応なんだけど、漢字に関しては住みたい理由を聞いて納得していたし、数字は一緒になって自分なりのイメージする色を発表したり、畠中さんのイメージする色を見事に連続当てして、自分のことを「最高の相方じゃん」とか言っていた。
そう、いつも結局一緒になって楽しんでいる。
伊藤さんは畠中さんの持つ世界観の一番のファンなんだと思う。

漫才を見ていても、伊藤さんが畠中さんワールドに翻弄されつつも、途中から飲み込まれてることがよくある。オズワルドの漫才のそういう瞬間が大好物なのは、ラジオでのそういうトークが大好物なのときっと同じ感覚。

この"普段と漫才の違和感のなさ"に関しても、今年はより意識していたらしい。
ツイッターや身内の反応から感じた、普段からオズワルドを好んで追っている人とそうでない人の評価の差は、必ずしもファンであるが故の盲目的な視点だけが理由ではない気がしたのは、そんなことが関係してるのかもしれない。


決勝から2日経って少し冷静になった今、2周目を見て思った。(結局4日経ってしまった)
今年は優勝こそ逃したけど、あの1stステージでの会場のウケ、審査員の高得点、赤ちゃん松ちゃん(意:松ちゃんが赤ちゃんみたいに笑ってる顔を指し、M-1グランプリにおいて激アツとされている/起源:ニューヨーク屋敷)連発、審査コメント、、、あの瞬間、今年一年オズワルドのやってきた事が評価された!伝わった!やっぱりこれで合ってたんだ!と思えた。
2年前は優勝しにくいネタと囁かれていたのに、今年は1stステージ後、アナザーストーリーに優勝顔しちゃうくらいにもうあと一歩まできていた。

優勝できなかったショックで見逃しそうになっていたけど、これってかなりの成果で、実はめちゃくちゃ凄いことなんじゃない?もっと喜んで良いんじゃない?と、そう思った。


けど!!!!!
来年こそは。
2人が納得の優勝をできるその時まで見守っていきたいと思う。
来年はもう少し気持ちに余裕を持って応援できたら良いな、なんて100%不可能な願いを添えて、一旦やめさせてもらいます。

BIG PEACEしよーね✌️✨
現在のロック画面

しあわせは出逢いと別れで出来てる

あっという間に今年も師走を迎えて、自分も周りも、色々な変化を迎えているのを感じる。
そんな今回は友達のことについて書きたい。
(普段は読む可能性のある人のことは書けないタチなのだけど、これを書かないと私は今年を終えられない気がするので)


私がエビ中を好きになり、しばらくして専用のツイッターアカウントを作ったのが2015年。
そこからエビ中のことはずっと好きだったし、関東でライブがあれば可能な限り行っていた。
けど、一緒に行くのは同じくアイドル好きな妹か、大学時代のバイト友達か、ジャニオタでなないろからエビ中に興味を持った高校の友達。といいつつ、半分以上は一人で現場に行っていた。
現場に行くと、自分と同じように一人で来てる人も珍しくないけど、やっぱり仲間と一緒に楽しそうにしている人や、一人で来ていても現場で知り合いに会っている人をよく目にする。
今思い返すと、現場に仲間がいる人達を少し羨ましいと思っていたのかもしれない。
けど、自分の性格上、現場でもツイッター上でも、自分から友達を作ろうとしてこなかった。

そんな自分だけど、今年の2月、家が近いということをきっかけにオタクの友達ができた。
その友達とは、家は自転車で15分程度の距離、年齢も一つ違い、エビ中を好きになったタイミングもほぼ同時期、推しメンこそ違うけど二推しがお互いの推しだったり、好きな音楽やお笑いの趣味も被っていたり、もっと辿ればオタクの原点が嵐だったり、とにかく共通点が多かった。

仕事もお互い夜勤ありのシフト制で予定も合いやすく、お花見したり、ライブ会場まで一緒に向かったり、カフェでランチしたり、お家居酒屋という流行りに乗ってみたり、キングオブコントを一緒に見たり、なんだかんだでほぼ毎月会っていた。

嵐ファンの友達やお笑いオタクの友達はこれまでもいたけど、ここまで共通点の多い友達は初めてだったので、とにかく新鮮だった。
なんというか、かなり大袈裟な表現かもしれないけど、自分という人間が認められてる感覚というか。その子が"ドッペルゲンガー"という表現をしていたけど、本当にそれに近いのかもしれない。
だからこそ、違う部分が見えると、星野源になれる時もあれば、オードリー若林になる時もあった。(分かる人が分かれば良いのです)
とにかく、自分を見つめることの多い1年だったなと思う。(職業柄、一般的な就活をしたことがないから、自己分析ってこんな感じなのかなとか思ったり)


そんな友達が昨日、かなり離れた地元に帰った。
そもそも、20代半ばで新しい友達ができるなんて思ってなかったし、そこからさらに新しい友達も増えて飲みに行ったりとか、今年の始めはそんなこと想像もしてなかった。
そうそう、人生の転機のタイミングまで同じで、そこもかなり気持ち的に支えになっていたんだ。
なので、その子にとても感謝しているし、とにかくこれからも健康でいてほしいなと思う。

あと、これまで一方通行だったツイッターだけど、反応をくれる人が少しだけ増えたことで、ツイッターという居場所が自分の中で少し大きくなった感じもある。けどその居場所が大きくなり過ぎてしまうのは危険だとも思ってるので、そこの感覚は保ちながら("もう既に保ててるのか問題"が深刻ですけども)、楽しく好きなことを好きでい続けたいなと思ったのが、少し早めの今年の締めくくり第一弾。
第二弾は書く気になれば書こうっと。


駅前でこういう写真撮れば良かったな〜

🌼✨