誰にもないものを持っていたいのになぁ

今日はニューヨークについて。
というのも、先週のニューラジオ、トーキンアバウト、早見さんとの対談、この3本がファンへのご褒美みたいな、なかなか胸が熱くなるものだったので。

2人がそれぞれの場で、違う人と話しているのにその言葉の端々から2人の根っこの感覚が似てるのをあらためて感じた。
先週のニューラジオは屋敷さん不在で、助っ人にきたゆにばーすの川瀬名人に、「嶋佐さんはこれから楽しいだけですよ。屋敷さんはネタをやりたがるイメージがあるから苦しむだろうけど。」と言われた。それに対して「あいつも意外とそうよ」と言う嶋佐さん。これは、「あいつもテレビ楽しんでるよ。ネタにそこまで固執はしてないよ。」というような意味だと解釈した。
屋敷さんのネタへの想いの強さは一旦置いておいて、テレビを楽しんでいるのはファンから見てもそうだと思うし、2人のなんでも楽しめるところがとても好きなので、それを本人達も認識してるのが単純に嬉しい。

あと、屋敷さんは早見さんとの対談で、嶋佐さんはトーキンアバウトでそれぞれ話していたのが、賞レースへの熱意だったり負けた時の悔しさを2人とも内に秘めていたい(表にはあまり出したくない)タイプだということ。
これは前から度々言っていたし、実際の2人を見ていても分かる。ニューヨークの代あたりまではそれが多数派で、下の代あたりからそういうのを表に出す芸人が増えたらしく、2人もそういう芸人が悪いわけではないと言っていて、自分もそういう芸人も好きだ。
けど、嶋佐さんの言う"感動される物として消費されるのが嫌な感覚"は分かるし、ニューヨークにはこれが合ってるようにも思える。(賞レース自体がそういう作りになっているし、なんとも難しい部分ですが)

そして、共通している部分もあれば、違う部分もある。早見さんとの対談で屋敷さんが、ADを辞めて芸人になろうと決めた時のことについて話していたのがとても印象的だった。
「りゃんめんですよね。自分のことをクソ偽物だと知り、どうにでもなれ精神で芸人になったけど、その反面、誰よりも自分に期待してる自分もいる」と。早見さんと共感し合っていたこの言葉に少し羨ましいなと思いながら、屋敷さんの去年のKOC決勝後のニューラジオでの沈み具合や、M-1決勝進出者発表時の目を赤くしたシーンを思い出した。
M-1を見て芸人をかっこいいと感じてこの世界に足を踏み入れたという屋敷さんにとって、どれだけ売れたとしてもやっぱり賞レース優勝への想いはきっとあるのだろう。だから、去年あたりから賞レース出場に関してはきっと迷いが大きかったんだろうと思う。

それとは対照的なシーンがトーキンアバウトだった。この回は屋敷さん不在でデニスが助っ人だった。
嶋佐さんが、ゲストのMOROHAの人に、「M-1の敗者復活戦で負けた時に悔しそうじゃなかった」と指摘されて、はじめは「悔しさを表に出したくなかった」と言っていた。
その後、いつの間にかMOROHAのギターに乗せて内にある気持ちをラップにするみたいな流れになって、「賞レースが全てではない」という気持ちを吐露していく。これも以前からニューラジオなどでちょこちょこ言っていたので、突然のラップで言うことに困って適当に見繕った言葉ではないとわかった。
嶋佐さんは屋敷さん以上に「(特に決勝まで行けば)賞レースは運だ」ということを何度も言っていたし、今回のラップでも、隣にいるデニスを例にあげ「賞レース決勝行ってないけどこんなに面白い」と、「俺たちはまず芸人なんだ。面白ければ良いんだ。賞レースで踊らされるマリオネットじゃない。」と熱く言葉を紡いでいた。「もちろん賞レースのおかげで今の状態があるから感謝している」とも話していた。
そう思う人がいて当然だと思うし、きっとそう思いつつも賞レースで決勝にいかないと売れない現実と闘っている芸人が沢山いるんだと思う。売れた今、嶋佐さんはこれを発信できるようになった。けど、優勝への想いは嶋佐さんもゼロではないはず。これもまたきっとりゃんめんなのだろう。

ニューラジオを聞いた感じでは、単独は毎年やり続けてくれそうなので、今年ニューヨークが賞レースに出場してもしなくても、2人が決めたことならどちらでも、という感じではある。
けどやっぱり出るとなったら、負けた時の、特に屋敷さんの表情は見てられないので、優勝を願うしかない。そうなるとKOCは良いんだけど、M-1が自分の中でまた複雑になってしまうな、と。
まあ、テレビやYouTubeで2人の楽しそうな姿が見られればファンは幸せです。